男性と日本舞踊|踊る愉しみと、稽古で変わるもの

日本舞踊の教室を探していて、写真に並ぶのが着物姿の女性ばかりだと、男性はふと手が止まるかもしれません。自分が入っていい場所なのだろうか、と。

結論から申し上げれば、まったく問題ありません。日本舞踊は女性だけの芸能ではありませんし、男性が踊ることは、この芸の歴史のなかでごく自然なことです。むしろ男の身体だからこそ味わえる愉しみが、確かにあります。

男も女も、この芸を担ってきた

桜を背景に舞台で踊る男女の踊り手

日本舞踊のもとをたどると、江戸のはじめに出雲阿国という女性が演じた「かぶき踊り」に行き着きます。歌舞伎は女性の踊りから始まったのです。

その後、幕府の禁令によって女性は舞台に立てなくなり、男性だけで演じる時代が長く続きました。このとき生まれたのが女方です。男性の身体でどう立てば女性に見えるのか、どう手を運べば情感が伝わるのか。それを何代にもわたって工夫し続けたことで、日本舞踊の型は驚くほど精緻なものになっていきました。踊りに秀でた役者が振付師として独立し、町の人々に踊りを教え始めたのも、この時代のことです。

やがて明治を迎えると、女性が再びこの芸を担うようになります。日本舞踊が「美しい所作を身につけるための稽古事」として全国に広まった背景には、数え切れない女性たちの存在がありました。今日わたしたちが受け継いでいる型は、男性が磨いた時代と、女性が広げた時代の、その両方を経てここにあります。

つまり日本舞踊は、どちらか一方のものではありません。男性が踊ることも、女性が踊ることも、この芸にとっては当たり前のことなのです。花柳流、若柳流、藤間流、西川流、坂東流といった主要な流派で家元を男性が務めていることが多いのも、こうした歩みの延長線上にあります。
因みに七々扇流では初代は男性、二世、三世は女性、四世、五世は男性が家元です。

男の身体で踊るということ

扇を手に腰を落として構える男踊りの踊り手

日本舞踊には、男の役を演じる立役(たちやく)と呼ばれる系統があります。武士、町人、船頭、あるいは能に由来する神や鬼。題材は幅広く、いずれも男の身体で踊ってこそ立ち上がる表現を持っています。

男踊りでは、腰を大きく割り、膝を開いて構えます。腕は外にひねり、肘を張る。この姿勢を保つには腹の力が要りますし、低く構えたまま動き続ければ、太ももにもふくらはぎにも相応の負荷がかかります。踊りというと優美なものを思い浮かべる方が多いのですが、実際に稽古を始めた男性からは「思っていたよりずっと身体を使う」という声をよく聞きます。

女踊りはこれとは対照的で、両膝をつけ、二の腕を身体の内側にしまうことで、輪郭を小さく、たおやかに見せます。同じ日本舞踊でありながら、身体の使い方は根本から違うのです。

この違いが感覚だけのものではないことは、研究によっても確かめられています。統計数理研究所の学術誌『統計数理』に掲載された論文では、熟練した舞踊家の動きをモーションキャプチャで計測し、腰や足先の速さ、膝の角度、腰の高さといった指標から分析を行いました。その結果、踊り手がそれぞれの役どころにふさわしい人物像を、身体の動きのレベルで明確に踊り分けていることが示されています。男らしく踊るというのは気分の問題ではなく、身につけるべき技術なのだということが、数値の上でも見えてくるわけです。

そして稽古を重ねていくと、男踊りも女踊りも踊り分けられるようになります。自分とは異なる性の、異なる年齢の、異なる境遇の人物になって踊る。これは身体表現としてかなり高度な段階であり、日本舞踊という芸の奥行きが最もよく現れるところでもあります。

稽古を続けると、立ち姿が変わる

日本舞踊の稽古は、踊りの前に「立つ」ことから始まります。腰を落とし、上体を反らさず、まっすぐに保つ。文字にすればそれだけのことですが、この姿勢を保つには腹と背中がしっかり働いていなければなりません。

日本舞踊では古くから、胸・腹・腰・背中を含む胴体の使い方が踊り全体の土台とされてきました。ただ、その中身は名人が感覚で会得するものとされ、長らく言葉にされてきませんでした。近年になって東京藝術大学などの研究者がモーションキャプチャを用い、腰の技法を数値として分析する試みも行われています。感覚で受け継がれてきたものが、少しずつ解き明かされつつあるところです。

稽古を続けていると、この体幹が日常でも働くようになります。背中が丸まりにくくなり、長く立っていても疲れにくくなる。本人が意識しなくても、周囲から見た印象がはっきり変わります。姿勢の良さというのは、本人が思っている以上に人目に触れているものです。

立ち方が変われば、歩き方も、座り方も、物を置く手つきも変わっていきます。日本舞踊の稽古では、そうした一つひとつの動作を丁寧に整えていきます。動きから無駄が抜けると、所作は自然と静かになります。ばたつかない、音を立てない、急がない。この落ち着きは、仕事の場でも、会食の席でも、人前で話すときにも、そのまま表れます。

着物を、着こなせるようになる

扇を手に着物姿で舞台に座る男性の踊り手

着物を着たとき、日本舞踊の心得がある方はすぐにわかります。理由は単純で、着物を着た身体でどこに力を入れれば動き出せるのかを、身体が知っているからです。

洋服と着物とでは、歩き出すときの力の入れ方が違います。裾の扱い方、袖の始末、腰の落とし方。どれも技術であり、稽古のなかで自然と身についていきます。

結婚式、式典、和の会食、あるいは海外での交流の場。着物に袖を通す機会は、人生に何度か訪れます。そのとき着物に着られてしまうのか、着こなしているのか。その差は、見ている側にはっきり伝わるものです。

もっとも、この身体の使い方は和装のときだけのものではありません。腰を据え、上体を反らさず、視線を定める。この軸はスーツを着ていても同じです。

身体と心が、合う

 

日本舞踊の世界には「板に付く」という言葉があります。舞台の板に由来する言葉で、稽古を積んだ人の芸が舞台にしっくりと馴染むさまを指します。

私自身は、踊るとき、足の裏で大地を踏みしめているような心持ちを大切にしています。足の裏に意識を集め、所作台の上を、摺り足で静かに運んでいく。稽古のあいだ、意識はいつもそこにあります。

けれども、足の裏を意識しているうちは、まだ途中なのだろうとも思うのです。意識せずとも、足が板を感じている。そういう状態になったとき、はじめて板に付いた姿になるのかもしれません。私にとっても、それはいまだ先にある目標です。

重心が定まり、足が吸い付くように安定して、同時に気持ちのほうも落ち着いている。身体と心が合致して、はじめて板に付いたと言えるのだと、思います。

稽古では、自分の身体の隅々にまで意識を通していきます。いまどこに力が入っているか。どこが強張っているか。呼吸は浅くなっていないか。それを繰り返しているうちに、自分の状態に気づく力が育っていきます。

一日じゅう情報に追われ、いつも何かに注意を引かれている暮らしのなかで、一時間ほど自分の身体だけに向き合う時間を持つ。それ自体に、思いのほか大きな意味があります。稽古を終えたあとの、あの静かな感じは、続けている方の多くが口にされることです。

稽古は礼に始まり、礼に終わります。これは形式ばった作法というより、切り替えのようなものです。頭を下げ、姿勢を正し、相手に意識を向ける。その動作を経ることで、稽古に入る心持ちが自然と整います。
日々の忙しさを忘れ、自分の心と身体に向き合う時間。自分にとって大切なひと時が稽古場に存在しているのです。

始める前に気になること

運動が苦手でも大丈夫でしょうか。
問題ありません。日本舞踊で必要なのは、跳ぶ力でも走る速さでもなく、重心を制御する力と、動きをよく見て再現する力です。運動が得意ではなかった方が着実に上達される例を、これまで何人も見てきました。

身体が硬いのですが。
差し支えありません。日本舞踊は柔軟性を競う芸ではなく、身体の使い方を学ぶものです。大きく開脚したり反ったりする動作を求められることはありません。

着物を持っていません。
入門のうちは動きやすい服装で構いません。七々扇流では着物・浴衣・足袋をお貸ししていますので、体験レッスンも手ぶらでお越しいただけます。

この年齢から始めても遅くないでしょうか。
遅くはありません。大人から始める場合、なぜその動きをするのかを言葉で理解しながら学べるという強みがあります。日本舞踊の型には一つひとつ理由がありますから、それを噛み砕ける大人だからこそ味わえるものがあります。

どのくらいで形になりますか。
基本の構えと歩き方は、数か月も稽古すれば身体が覚え始めます。もっとも日本舞踊に終わりというものはなく、同じ演目を十年後に踊れば、まるで別のものになります。長く付き合える芸事だということです。

まずは体験から

七々扇流の体験レッスン案内。45分1,000円、着物・浴衣・足袋の無料レンタルあり。横浜・吉野町駅から徒歩1分

七々扇流は、横浜が開港した安政六年(1859年)に創流した日本舞踊の流派です。五世家元・七々扇花瑞王が主宰し、家元と師範が直接お稽古をつけます。

  • 時間:45分
  • 料金:1,000円
  • 着物・浴衣・足袋のレンタルあり(手ぶらでご参加いただけます)
  • 場所:横浜市南区・吉野町駅徒歩1分
  • 対象:大人・お子さま、男女問わず

稽古は個人指導が基本ですので、周りに合わせる必要はありません。ご自身のお仕事や生活に合わせて、無理のないところから始めていただけます。

腰を落として構えてみるだけで、日本舞踊が身体をどう使う芸なのか、その場でわかります。まずは一度、稽古場に立ってみてください。体験だけのご参加も歓迎しております。

45分1,000円の体験を予約する

よくある質問

男性でも日本舞踊を習えますか?

もちろん習えます。日本舞踊は男性も女性も担ってきた芸能で、男の役を演じる立役の系統も脈々と受け継がれています。男性が踊ることは、この芸にとってごく自然なことです。

男性が日本舞踊を習うと、どんなことが身につきますか?

姿勢と所作、着物の着こなし、集中の仕方、そして自分の身体と心の状態に気づく力です。体幹が働くようになるため立ち姿が変わり、動作から無駄が減ることで、人前での印象も変わってきます。

男踊りと女踊りはどう違いますか?

身体の使い方が根本から異なります。男踊りは腰を大きく割り、肘を張って構えるため、腹の力と体幹を必要とします。女踊りは膝をつけ、二の腕を内にしまうことで輪郭を小さく見せます。この違いは、モーションキャプチャを用いた研究でも計測されています。

日本舞踊は運動になりますか?

なります。とくに男踊りは、腰を割った低い構えを保つだけで下半身に負荷がかかり続け、上体を支えるために腹の力も要ります。体幹の使い方は日本舞踊の根幹とされ、近年は科学的な研究も進められています。

仕事帰りに通えますか?

横浜教室は吉野町駅から徒歩1分で、京急線と市営地下鉄ブルーラインがご利用いただけます。お稽古の曜日と時間は個別にご相談のうえ決めますので、お仕事の都合に合わせて調整いただけます。

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